2015年6月28日日曜日

嫌韓ネトウヨが望む日本史は真実か

これは偏見を助長するためのものではなく、ネットの噂を批判的な目で見て検証しようという立場からの記事のつもり

・ネットの噂の真偽
以下、嫌韓な人が好むテーマとして
・日本人は朝鮮半島を経由せずに日本列島に至った
・稲作の伝来を伝えたのは朝鮮民族ではない
・現代の朝鮮民族に歴史的に恩は一切ない。彼らはシベリアの少数民族エベンキである。

などがあり、このあたりを見ていきます。嘘っぽい部分もあるので色を薄めに書いておきます。

Y-DNAは万能ではない点も含めて理解してほしいので、その点、前の記事も見ておいてほしい。

・日本人の渡航経路は朝鮮半島経由。ただし朝鮮民族ではない
まず、日本列島に人が到着するにはいくつかの経路があります。
・北方経路(サハリン経由で北から)
・朝鮮半島経路
・南方海流説(東南アジアから海流にのって)

代表的なものはこの3つでしょうか。

・北方経路
主要な移動経路としてはあまり重要視されていないが、バイカル湖付近には先進的な石器文化があったらしく、古い土器も見つかっている。このあたりを中心として石器の流通を見ることができ、その中にはサハリン経由で北海道に至へ、さらに東北地方へ至っていた例がゼロではないらしい。ただし、日本人の祖の大部分が北から来たわけではないようです。
(ただし、この石器の記述はゴッドハンドの捏造が暴かれる前に書かれた本のものを参考にしてあったり…)

・南方海流説
朝鮮半島を経由しないことからネットでは人気の説であるものの、本の中では見かけない説。2005年ほどの本なので、近年の科学的分析の結果として勢いを得ている説の可能性もあるので、古代人の造船技術、航行術の解明とあわせ、今後に期待したい。
 古代の小さな舟で遭難した後に日本に流れ着いた人もいたかもしれません。しかし、男女両方が多数まとまって遭難することもないだろうし、航行技術的に、狙って日本列島に向けて漕ぎ出したと考えるのは少々無鉄砲に思えてしまいます。
(古代人の交流範囲は予想以上に広いのかもしれない。縄文人を「ひとつの場所から動かず、その日暮ししか考えられなかった原始人」と考えることはできず、日本国内でいえば、四国産の石をつかった石器が新潟で発見されるくらいには動き回っていたことが知られています)

マレーシア人「日本人の祖先である縄文人はマレー人だったって本当?」縄文人のルーツに対するマレーシア人の反応
南方渡来説…というには情報少ない

ということで、
朝鮮半島経路説
が有力(2005年当時)。
こう言うと嫌韓感情が刺激される人もいるでしょうし、これにより韓国人が喜んで「日本人の祖先は韓国人」と主張したりするかもしれないですが、だからといって、「日本人の祖は朝鮮半島出身(朝鮮民族)」とはなりません。

日本人のY-DNAハプログループを見ると、多くはD1b(旧D2、研究初期ではD-M64.1)とO2b1a(47z)になる。
D1bが縄文系であり、O2b1aが弥生系と考えられているようです。

D1b(wikipedia)
D1bは日本でしか見られないらしく、日本で発生した(分化した)と考えられているようです。

一度バイカル湖まで北上した後に樺太経由で日本に来た可能性もあるものの、おそらくは氷河期に海がかなり狭まっていた(それでも完全に陸続きにはなっていなかったものの)朝鮮半島から日本列島へ移動したと考えられている様子。

チベット系D1a(チベット、中国少数民族、朝鮮民族の一部)は、D1bとはどちらかが祖となっている関係ではなく、共通の祖から枝分かれした別の遺伝子のようです。したがって、朝鮮半島のD1a系の一部が日本に渡ってD1bに変化したわけではなく、また日本統治時に日本のD1b系が朝鮮半島に残ったわけでもない。
近年、D1a,D1bの共通の祖となるDNAを持ったD1系がアンダマン諸島の一部族から見つかったそうです。

ハプログループD(wikipedia)
>オンゲ族、ジャラワ族はD1a,D1bとは異なるD系100%

日本列島内にD系の祖が残っていないのは、列島内で淘汰されたから?
または列島に渡る前にD1bに別れ、大陸に残ったD1bは他のD系とともに淘汰されたか。

・O2b1a系
O2b1a(wikipedia)

こちらは日本、韓国に両方に分布し、弥生系の遺伝子であると言われます。
そして、このO2系DNAは揚子江流域で稲作文化(水稲)を発展させた人種であるようです。弥生人が日本に稲作(水稲)を伝えたという考え方と合致します。
これは朝鮮民族が日本に稲作を伝えた根拠だ!というより、上に書いたとおり揚子江文明の担い手であり、日本の稲作(水稲)の起源は揚子江(長江)流域にあります。しかし、気候変動などで移動を開始した黄河系のO3系の勢力に押され、中国本土ではO3が支配的になり、O2系は南へと(華南や東南アジア)へ追いやられたことがY-DNAから理解できます。

このO2系は中国東部の海岸線を北上し、朝鮮半島へ至り、そこから日本列島に渡ったと考えられるそうです。朝鮮半島にもO2bはいるけど、O3のほうが主流という中国黄河系の影響を強く受けた構成。

いつ、どこでO2系の中からO2b1へと分化したのかが気になるところです。
英語版wikipediaのO2b1a系を見てみると、Japan Originと書かれています。どうも、O2b1aの分布を見た場合、一度日本に渡って、そこから交流のある地域に分布していったと考えられる(O2b1aの分布の中心となる場所、分布の集中度合を見ると日本を起点として考えたほうがいい?)らしい。

つまり、可能性としては朝鮮半島⇔日本列島の人の移動は決して一方通行である根拠はなく、朝鮮半島のO2b1も日本列島から朝鮮半島へと戻っていった人が繁栄した形跡という考え方もできなくはない。…まあこのJapan origin説もまだ検証が必要だとは思いますが。

そのほかの資料によるとO2b1の発生、繁栄の中心地として日本か朝鮮半島南西部という百済の位置が起点ではないかと書かれているものも。私も百済なのではないか?と思いました。素人判断ですが。日本が起点であったとして、アジアでのO2b1a系の分布範囲でD1bの遺伝子が見られないらしいことが気になったためです。日本でオリジナルの遺伝子に変質するまで長期間定着し、そこを起点として分布したというならD系も同じ地域へ分布するのではないか?と。
(O2b1aが日本から出て行くことを選んだ段階でD1bとの混血は進んでいなかった可能性もあり、インドネシア、ベトナム、満州などへO2b1が旅立つ前、D1bとは対立、反目状態のような交流が絶たれた状態にあった?)

百済系は日本とつながりが深く、藤原氏が百済人じゃないかとか、そこらの藤原さん(詳細不明)のハプロタイプを調べたらO2系だったとか聞きます。
また、かつて百済であった地域でに相当する場所は現代では全羅道と呼ばれる地域とある程度重なっていて、何か歴史的経緯やら差別されているらしいですね。また、やや親日的立場な人が多いらしく、その件でも全羅道に非国民的な視線を向ける人もいるのだとか。


・稲作の伝来経路は朝鮮半島ではない?
この問題については、ひとつに縄文時代の地層(縄文土器の中から?)陸稲のプラントオパールが見つかっていることから、弥生系による水稲伝来以前に陸稲が存在したというものです。しかし、そのプラントオパールの量については資料によって大量ともごく少量ともいわれ、また現代の水稲の普及度合から考えてもいずれ水稲が主流になったことは間違いありません。やはり、水稲が入ったことは日本人の生活に大きな影響を与えたことでしょう。
 そして水稲の伝来経路はやはり朝鮮半島経由と考えられてはいます。しかしこのとき、持ち込まれた水稲の種類が少ないことから、水稲を運んだ人は極少数(陸地には10種くらいの稲(遺伝子的な差?)があり、日本に根付いたのはそのうち2種類程度らしい)との説もあるようです。また、鉄器が伝わった時期とは異なっているとも。
ミトコンドリアDNAにつよく影響を与えている以上、日本には結構な数の弥生系移民がいるはずで、鉄器(とその製造についての専門技術)はともかく食糧について手ぶらとは考えにくく、稲が2種類のみに限定されるのは不思議な話らしい。移民が本格化した時期よりも前に、日本列島で急速に水稲が広がっており、後から来た弥生系移民の米がタネモミとして蒔かれることはなかった…とかでしょうか。
 陸稲が普及していたことも踏まえ、日本人が自主的に水稲を持ち込んだ可能性もゼロではないのではないか。
…しかし、弥生系移民の起源が揚子江流域に定着したO2系であることと、弥生系の移民が増えた時期に水稲が伝わったことが偶然とは思えない。

まあ、この問題についてはまだ難しい点がありそう。2005年当時の研究結果からは先に進んでいるかもしれないですが。
ただ、日本に稲作を教えたのは韓国!と無駄に勝ち誇られたら、「日本には縄文時代から陸稲があったし、水稲は揚子江文明で発達したもの」と答えておけばいいでしょう。


・朝鮮民族はシベリア東部の少数民族エベンキである?
この仮説もエベンキ族のY-DNAハプログループやらmtDNAを調べれば少しは関係性が見えてくるかもしれません。しかし、エベンキ族のハプログループの情報が見つからない(調査されていない?)ことと、朝鮮民族はハプログループでいうと普通に中国黄河文明系のO3が強いことなどから、シベリアのエベンキ族とは別の分布になりそうな気がします。(シベリア系であればCやDが強くでるはず?)

また、エベンキ族とは別に朝鮮民族と日本人の関係について関わる説として、
・10世紀、朝鮮半島の白頭山で大規模な噴火があり朝鮮半島の住民は滅亡した
・7世紀ごろの百済、高麗、新羅の戦争は異民族同士の戦争であり、勝利した新羅は百済、高麗とは別の民族

など、古代朝鮮民族(百済、高麗系)と現代の朝鮮民族(新羅系?または火山噴火後の民族)は別の民族であるという説があります。

このウワサの真偽はともあれ、朝鮮半島のほうが広く多くの民族との混血は起こりやすいことは確かで、現代の日本人とは異なるDNAを持っていることはなんら不思議ではない。

火山については、前の記事にミトコンドリアDNAについて「大和系mtDNAはアイヌ系DNAと朝鮮民族のDNAの両方の特徴を持つ」と書いたのですが、このことが正しいなら、少なくとも弥生系の渡来のあとで全住人滅亡で民族総入れ替えにはなっていないはず。


とはいえ、朝鮮半島の百済、高麗、新羅らの民族的な伝承では、彼らの起源について、それぞれ「北からやってきた」とのみ書かれているため区別がつきにくい。別の民族という根拠もないです。しかし、特に百済については、中国の記録に「支配階級と被支配階級では言葉が違う(別の民族である)」と記されていたりと何やら複雑な様子です。新羅の勝利後、それまで特に関係の強かった百済のほかに高麗からも日本への亡命者がでています。

新羅系が別民族であり、百済、高麗の土地を奪い取って支配したということなら、mtDNAはそのまま残り、Y-DNAについてはO2b1は少数だけ残ったとして、それは百済系の生き残りであると考えれば結構理にかなっているかもしれません。

・日本人は○○と違う民族か。最も近い民族はどこにいるか
蒙古斑が出る。蒙古ひだがある。酒が飲めない…
日本人はまちがいなくモンゴロイドの特徴を持つ人が多い民族であり、世界的に見ればモンゴロイドであることは間違いありません。

顔立ちについても個別に見ていけば漢民族系、朝鮮民族系、東南アジア系(あだ名がネパールやグンマーだったりする人)などもいるでしょう。私の知人にも「外国行った時、ベトナム系?って聞かれた」という人もいました。

中国の少数民族の中ではイ族などが顔立ちが近いといわれ、彼らはY-DNAで見てもD系の遺伝子を強く持っているそうです。

海外の反応「えっ、日本人って自分たちが他のアジア人と違うって信じてるの?」
日本人からすれば、日本人と中国人を見分けるより、(二択にしてもらえたとしても)ヨーロッパの人をみて国籍を見分けるほうが難しいと感じます。日本人に欧米人の顔は見分けられず、欧米人にもアジア人の顔は見分けづらい。

ヨーロッパでは、海外の反応などのサイトを見ているとゲルマン系、ラテン系、スラブ系、ユダヤ系・・・と、さらには歴史的な関係などで民族、人種的な違いを意識しているコメントは多い。
「ドイツ人とフランス人見分けられないとかありえないだろ!」というのが当のドイツ、フランスの人の常識。


Y-DNAの限界として、一重まぶたの件も挙げましたが、Y-DNAだけでは他民族との類似点、相違点をすべて説明することはできません。しかし、違いがある理由については若干感じ取れました。
mtDNAで見ても中国、韓国とも違いは確かにあり、Y-DNAについては驚くほどの違いがあったといえます。

mtDNAがもっとも近いのは韓国ということは確かであるものの、これはだいたい、東アジアに住み始めた時期が同じくらいというような意味と考えられるのではないでしょうか。

 さて、日本人は本当に他のアジア人と同じじゃ嫌だと考えているのか?…別にそういうわけでもないと思います。ただ、最近は気になる事情があるので仕方ないことかと。
今は韓国側が起源やら何やら主張していることに加え、それを聞いた外国人が「日本も韓国も同じ民族なんだし、スシも剣道も韓国起源で問題ないだろ?」という反応をしてしまうためにこの問題について少々ナーバスになってしまった人もいると思います。

youtubeなんかで顔見分けクイズもありますし、いずれ文化的な違いなどについても理解してもらえる日がくることを願いましょう。

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