2015年6月28日日曜日

Y染色体ハプログループでどこまで分かるのか?日本人の起源など

Y染色体(Y-DNA)ハプログループというものがなかなかに興味深いです。日本人の起源に迫っています。
2015年3月版ハプロタイプツリー

これはY染色体の遺伝を追いかけることで、人類の移動を探ったりすることができるというもので、

・日本にはD型という古い遺伝子が生き残っている
・沖縄とアイヌは遺伝的に近いことが証明された
・アジア全土、東ヨーロッパでもチンギスハンの遺伝子がいまだ息づいている

などと言う形で耳にしたことがあるはずです。


このことについて、嫌韓(≠ネトウヨ。一部重なる部分もあるが同じではない)な人々が取り上げることがあります。

・韓国人の持つハプロタイプとは構成の割合が大きく違うため、日本人と韓国人は同質の民族ではない
・日本の大半は韓国とは無縁のD型遺伝子を持っている
・天皇はD型遺伝子を持ち、韓国系とは無縁であることが証明された

など。
これらの話はどこまで本当か、そしてY-DNAは嫌韓にとって有利な情報となるか……


ネットや図書館で調べてみました。まずはY-DNAについて。上記ネットの噂については別の記事で。
なお、この記事は2015年の最新の研究を反映したものではありません

近年日本人に多く含まれるOb2系もK系として再編されるなど、日進月歩で変化している分野のようです。私が知ることができたのは2005年あたりの本などに書かれた内容を図書館で拾い読みした程度だったりします。

・Y染色体ハプログループでわかること
Y染色体は男が持つ性染色体のことであり、男親から男子へ伝わります。この伝わり方により、男親の出自が変われば子供たちのY-DNAもがらりと変わっていくことになり、つまり戦争での勝者のY-DNAが極めて有利になっていくことが考えられます。チンギスハン(モンゴル系)の遺伝子が広く伝わり、現在でも残っているというのはそういう理由があります。
 逆に、日本やチベットの山奥にのみD系が残った点については、そのほかの地域では後進の遺伝子のO2、O3などと戦争が起こり、敗北した結果、D系の男性は多くが殺され、また子孫を残すことが許されない身分に押し込められたことが考えられます。それに対して、日本は侵略を受けず、また一定の割合でD系とO2系の遺伝子が共存することは、お互いに侵略することなく共存関係をとったことが予想されます。このことから、D型の遺伝子を縄文人、O2型の遺伝子を弥生人と考えると、縄文人と弥生人は共存して日本人の祖となったと考えることができるようです。私の子供の頃は、「縄文人は弥生人に破れ、(大和系)日本人の祖先の弥生系が繁栄した。やや我々と顔立ちの異なるアイヌは縄文人の末裔かもしれない」という説が唱えられていましたが、アイヌが縄文系の遺伝子(Y-DNAハプロタイプD1b(旧D2,D-M64.1)を色濃く残していることは正しかったものの、弥生人が縄文人を追い払ったという説は科学的に否定されることとなりました。

・mtDNAハプログループとの関係
こちらはパラサイトイブで知られるように女系で伝わり、Y-DNAに比べて長い時間で変化しにくい特徴を持っています。
 日本の本土に分布するmtDNAはアイヌのmtDNAと朝鮮半島のmtDNAの両方の特徴を持つらしく、これはつまり本土の大和人は縄文人と弥生人の血が混ざっているということで、また朝鮮半島のmtDNAは3000年日本に渡った弥生人とさほど変化していないと言えるようです。

父系、母系で、この2つだけで十分というわけでもないですが、異なる特徴を持つ遺伝子情報として両方を見比べていく必要があるようです。(Y-DNAのほうが新しく出てきた手法であるが、だからといってmtDNAが不要になったわけでもない)


・Y染色体ハプログループは万能ではない
Y-DNAだけで人の遺伝の全てを知ることはできません。特に一重まぶたなどについて気になる女性は自分の遺伝について縄文系、弥生系に興味を持つかもしれません。縄文が二重、弥生が一重などと言われますが、女性に関してはこの方法で縄文、弥生を問うのは難しい。
 なぜなら、その女性当人はY染色体(男の性染色体)を持たないからです。父親のDNAで判断することもできますが、その女性に子供ができた場合、その目元に女性側の遺伝がないわけではありません。Y-DNAと一重まぶたの分布が一致しているわけではないのです。

ヨーロッパではR系あり、細かく分布を調べられ、ヨーロッパ内での人の移動、それぞれの祖先の分析に熱心に調べられているそうです。しかし、O系も含め、ヨーロッパのR系も遺伝子の伝達経路詳細の違いはあれど、大枠では違いが少ないらしく、O系もR系もまとめてK系として再編されるのだそうです。
 これは彫りの深い二重まぶたの縄文系よりものっぺりした顔の一重の弥生系のほうがヨーロッパ人に近いことになってしまい、このことを見ても、Y-DNAだけでは遺伝の全てを分類できないことが確認できます。
ミトコンドリアハプログループ、そのほかさまざまな要素を検討していかなければ、日本人の人種的特長を説明、分類することはできない様子です。


・日本人の起源とは……縄文弥生二重構造モデル
日本人のY染色体ハプログループを見ると、多くはD1b(旧D2、研究初期ではD-M64.1)とO2b1a(47z)になる。
D1bが縄文系であり、O2b1aが弥生系と考えられているようです。
他にも多数の要素を含んでおり、縄文、弥生が共存した「日本人二重構造モデル」を形成しつつ、他のさまざまなY-DNAが共存している。
上記のY-DNAの詳しいツリーを表示してくれている人によれば、異なる時代にアフリカを出た2つの人種(?)が共存しているという先進国では珍しい構成のようです。

D1b(wikipedia)
D1bは日本でしか見られないらしく、日本で発生した(分化した)と考えられているようです。アイヌ以外でも、東日本では4割ほどを占めるとか。

一度バイカル湖まで北上した後に樺太経由で日本に来た可能性もあるものの、おそらくは氷河期に海がかなり狭まっていた(それでも完全に陸続きにはなっていなかったものの)朝鮮半島から日本列島へ移動したと考えられている様子。

チベット系D1a(チベット、中国少数民族、朝鮮民族の一部)は、D1bとはどちらかが祖となっている関係ではなく、共通の祖から枝分かれした別の遺伝子のようです。したがって、朝鮮半島のD1a系の一部が日本に渡ったわけではなく、また日本統治時に日本のD1b系が朝鮮半島に残ったわけでもない。
近年、D1a,D1bの共通の祖となるDNAを持ったD1系がアンダマン諸島の一部族から見つかったそうです。

ハプログループD(wikipedia)
オンゲ族、ジャラワ族はD1a,D1bとは異なるD系100%
また、上記のwikipedia記事によれば、日本人の由来などについて本を書いたり、実際に研究を行って論文を書いていたりする崎谷満氏は日本語の起源をハプロタイプDがSOV文型の担い手であったと考えている様子です。

英語のほか、大陸で広がっている中国語などはSVOであるため、日本語の元(近い言語)はどこにあるのか、朝鮮語以外とのつながりが見られなかったのですが、中国語が黄河系の言語として後から繁栄したもので、インドのサンスクリット語、チベット語、ミャンマー語などむしろSOV系としてのつながりがある言語は(D系の移動経路を考えると)結構多く存在していそうです。
SOV文型の言語(Yahoo知恵袋) 


ジャラワ族が日本人と近い。海外の反応

念のため書いておくと、アンダマン諸島が日本人のふるさとと言いたいわけではない。
D系の遺伝子のうち一部が未変化のままアンダマン諸島に渡ったと考えられ、一部チベット等内陸部でD1aに分化したものもまたアンダマン諸島へ渡った。
D系の遺伝子のうち、一部の未変化のものが日本列島へ渡り、渡った後でD1bという日本固有の遺伝子に変化し、日本で広く分布した……ということのよう。
 D1bが日本にしかいないことから、D1bが日本国内で発生したと考えるならば、少ないながらもD1bのプロトタイプとなる遺伝子があってもよさそうなのですが・・・それは日本列島内で競争の末に淘汰されたのかな?それとも日本に渡る前にD1bに変化し、大陸に残ったD1bとそのプロトタイプは既に滅びたと考えたほうが分かりやすい気もしますが……

・O2b1a系
O2b1a(wikipedia)
こちらは韓国にも一部分布し、弥生系の遺伝子であると言われます。
そして、このO2系DNAは揚子江流域で稲作文化(水稲)を発展させた人種であるようです。弥生人が日本に稲作(水稲)を伝えたという考え方と合致します。
漠然と、大陸のどこかの気まぐれな人が日本にくるとき稲を持ち込んだのかとも思っていましたが、上に書いたとおりO2系は揚子江文明の担い手であり、日本の稲作(水稲)の起源は揚子江(長江)流域にあります。しかし、気候変動などで移動を開始した黄河系のO3系の勢力に押されて、揚子江流域の人々も別の土地へと移動することになったと考えられます。中国本土ではO3が支配的になり、弥生人の祖先O2系は中国南部、東南アジアへと逃れていったことがY-DNAから裏付けられてきています。


・天皇家は朝鮮半島に存在しないD1b系?
天皇陛下の目が細いから朝鮮系と呼ぶ人もいる(小学校の先生もそう言ってた)のですが、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を見るとそうでもない感じ。
遺伝の全てがY-DNAと一致するわけでもないのだけれど、天皇陛下の目の特徴などで天皇家の起源を朝鮮系という人がたまにいる。

しかし、天皇家のY-DNAはなかなかに興味を誘います。
天皇家は男系で皇位を継承してきたわけなので、その原則に従えば今上天皇のY-DNAは2000年前の神武天皇のY-DNAなわけです。清和天皇を祖とし、武家という男社会で生きてきた源氏などの血筋も、同じことが言えるのではないか。

また、このこととチンギスハンの遺伝子がC2b2(C-M217)と推定されることで、これで源義経がチンギスハンになったという説(もちろんトンデモ説であり、外国からの侵略を日本国内の事情のみで解釈しようとした昔の日本人の思い込みが元なんでしょうけど)に科学的根拠がついたと思ったのですが、天皇家のY-DNAがD1bであるか分かっていないようです。


上のY-DNAハプロタイプの情報を多く示してくれている人はO3系(黄河文明を祖とする、本土中国系)と予想しているようですが。
また、チンギスハンの遺伝子も、東ヨーロッパを含め広く分布しているY-DNAをチンギスハンと仮定しているだけという面もある様子。
 O3系と考えている理由には日本を平定する武力、好戦性を広くアジアを支配した新人類であるO系に求めたためのようですが、これは一時期大和朝廷の起源として武力で支配域を一気に拡大したという考え方に近いものといえるかもしれない。
騎馬民族征服王朝説
手塚治虫の火の鳥でも、大和朝廷(神武天皇)は卑弥呼の邪馬台国(邪馬壱国)を武力で制圧して勢力を広げていく場面がありました。しかし、どうも大和朝廷が勢力を拡大する段階では天皇家の政治的権力、発言力は小さかった模様。この騎馬民族征服説は現在では否定されている様子です。ただ、武力による制圧も全くなかったわけではないはずで、大和武尊や吉備津彦命などは異民族の征伐を行っている。

天皇家のY-DNAを調べるとなると、遺髪などからDNAを比較することで男系を継続しているか、政争の結果、別の血統に入れ替わっているのではないかとか、さらには代々の中での子供のすり替えみたいなものまで明らかになってしまうので、少々デリケートな問題にもなりえます。
 世界最古の王朝であることに加え、男系を継続してきたことも含め、気になるところではあるのですけれど。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

まだDNAの二重らせん構造も発見されていない頃にアイヌ人こそが本当の日本人だと見破っていた人がいる
それは出口王仁三郎という人で、木庭次守編の「新月の光〉―出口王仁三郎玉言集」その下巻の359頁にて、「アイヌ人は本当の日本人だ」と発言されていた事が記録されています