2015年6月28日日曜日

嫌韓ネトウヨが望む日本史は真実か

これは偏見を助長するためのものではなく、ネットの噂を批判的な目で見て検証しようという立場からの記事のつもり

・ネットの噂の真偽
以下、嫌韓な人が好むテーマとして
・日本人は朝鮮半島を経由せずに日本列島に至った
・稲作の伝来を伝えたのは朝鮮民族ではない
・現代の朝鮮民族に歴史的に恩は一切ない。彼らはシベリアの少数民族エベンキである。

などがあり、このあたりを見ていきます。嘘っぽい部分もあるので色を薄めに書いておきます。

Y-DNAは万能ではない点も含めて理解してほしいので、その点、前の記事も見ておいてほしい。

・日本人の渡航経路は朝鮮半島経由。ただし朝鮮民族ではない
まず、日本列島に人が到着するにはいくつかの経路があります。
・北方経路(サハリン経由で北から)
・朝鮮半島経路
・南方海流説(東南アジアから海流にのって)

代表的なものはこの3つでしょうか。

・北方経路
主要な移動経路としてはあまり重要視されていないが、バイカル湖付近には先進的な石器文化があったらしく、古い土器も見つかっている。このあたりを中心として石器の流通を見ることができ、その中にはサハリン経由で北海道に至へ、さらに東北地方へ至っていた例がゼロではないらしい。ただし、日本人の祖の大部分が北から来たわけではないようです。
(ただし、この石器の記述はゴッドハンドの捏造が暴かれる前に書かれた本のものを参考にしてあったり…)

・南方海流説
朝鮮半島を経由しないことからネットでは人気の説であるものの、本の中では見かけない説。2005年ほどの本なので、近年の科学的分析の結果として勢いを得ている説の可能性もあるので、古代人の造船技術、航行術の解明とあわせ、今後に期待したい。
 古代の小さな舟で遭難した後に日本に流れ着いた人もいたかもしれません。しかし、男女両方が多数まとまって遭難することもないだろうし、航行技術的に、狙って日本列島に向けて漕ぎ出したと考えるのは少々無鉄砲に思えてしまいます。
(古代人の交流範囲は予想以上に広いのかもしれない。縄文人を「ひとつの場所から動かず、その日暮ししか考えられなかった原始人」と考えることはできず、日本国内でいえば、四国産の石をつかった石器が新潟で発見されるくらいには動き回っていたことが知られています)

マレーシア人「日本人の祖先である縄文人はマレー人だったって本当?」縄文人のルーツに対するマレーシア人の反応
南方渡来説…というには情報少ない

ということで、
朝鮮半島経路説
が有力(2005年当時)。
こう言うと嫌韓感情が刺激される人もいるでしょうし、これにより韓国人が喜んで「日本人の祖先は韓国人」と主張したりするかもしれないですが、だからといって、「日本人の祖は朝鮮半島出身(朝鮮民族)」とはなりません。

日本人のY-DNAハプログループを見ると、多くはD1b(旧D2、研究初期ではD-M64.1)とO2b1a(47z)になる。
D1bが縄文系であり、O2b1aが弥生系と考えられているようです。

D1b(wikipedia)
D1bは日本でしか見られないらしく、日本で発生した(分化した)と考えられているようです。

一度バイカル湖まで北上した後に樺太経由で日本に来た可能性もあるものの、おそらくは氷河期に海がかなり狭まっていた(それでも完全に陸続きにはなっていなかったものの)朝鮮半島から日本列島へ移動したと考えられている様子。

チベット系D1a(チベット、中国少数民族、朝鮮民族の一部)は、D1bとはどちらかが祖となっている関係ではなく、共通の祖から枝分かれした別の遺伝子のようです。したがって、朝鮮半島のD1a系の一部が日本に渡ってD1bに変化したわけではなく、また日本統治時に日本のD1b系が朝鮮半島に残ったわけでもない。
近年、D1a,D1bの共通の祖となるDNAを持ったD1系がアンダマン諸島の一部族から見つかったそうです。

ハプログループD(wikipedia)
>オンゲ族、ジャラワ族はD1a,D1bとは異なるD系100%

日本列島内にD系の祖が残っていないのは、列島内で淘汰されたから?
または列島に渡る前にD1bに別れ、大陸に残ったD1bは他のD系とともに淘汰されたか。

・O2b1a系
O2b1a(wikipedia)

こちらは日本、韓国に両方に分布し、弥生系の遺伝子であると言われます。
そして、このO2系DNAは揚子江流域で稲作文化(水稲)を発展させた人種であるようです。弥生人が日本に稲作(水稲)を伝えたという考え方と合致します。
これは朝鮮民族が日本に稲作を伝えた根拠だ!というより、上に書いたとおり揚子江文明の担い手であり、日本の稲作(水稲)の起源は揚子江(長江)流域にあります。しかし、気候変動などで移動を開始した黄河系のO3系の勢力に押され、中国本土ではO3が支配的になり、O2系は南へと(華南や東南アジア)へ追いやられたことがY-DNAから理解できます。

このO2系は中国東部の海岸線を北上し、朝鮮半島へ至り、そこから日本列島に渡ったと考えられるそうです。朝鮮半島にもO2bはいるけど、O3のほうが主流という中国黄河系の影響を強く受けた構成。

いつ、どこでO2系の中からO2b1へと分化したのかが気になるところです。
英語版wikipediaのO2b1a系を見てみると、Japan Originと書かれています。どうも、O2b1aの分布を見た場合、一度日本に渡って、そこから交流のある地域に分布していったと考えられる(O2b1aの分布の中心となる場所、分布の集中度合を見ると日本を起点として考えたほうがいい?)らしい。

つまり、可能性としては朝鮮半島⇔日本列島の人の移動は決して一方通行である根拠はなく、朝鮮半島のO2b1も日本列島から朝鮮半島へと戻っていった人が繁栄した形跡という考え方もできなくはない。…まあこのJapan origin説もまだ検証が必要だとは思いますが。

そのほかの資料によるとO2b1の発生、繁栄の中心地として日本か朝鮮半島南西部という百済の位置が起点ではないかと書かれているものも。私も百済なのではないか?と思いました。素人判断ですが。日本が起点であったとして、アジアでのO2b1a系の分布範囲でD1bの遺伝子が見られないらしいことが気になったためです。日本でオリジナルの遺伝子に変質するまで長期間定着し、そこを起点として分布したというならD系も同じ地域へ分布するのではないか?と。
(O2b1aが日本から出て行くことを選んだ段階でD1bとの混血は進んでいなかった可能性もあり、インドネシア、ベトナム、満州などへO2b1が旅立つ前、D1bとは対立、反目状態のような交流が絶たれた状態にあった?)

百済系は日本とつながりが深く、藤原氏が百済人じゃないかとか、そこらの藤原さん(詳細不明)のハプロタイプを調べたらO2系だったとか聞きます。
また、かつて百済であった地域でに相当する場所は現代では全羅道と呼ばれる地域とある程度重なっていて、何か歴史的経緯やら差別されているらしいですね。また、やや親日的立場な人が多いらしく、その件でも全羅道に非国民的な視線を向ける人もいるのだとか。


・稲作の伝来経路は朝鮮半島ではない?
この問題については、ひとつに縄文時代の地層(縄文土器の中から?)陸稲のプラントオパールが見つかっていることから、弥生系による水稲伝来以前に陸稲が存在したというものです。しかし、そのプラントオパールの量については資料によって大量ともごく少量ともいわれ、また現代の水稲の普及度合から考えてもいずれ水稲が主流になったことは間違いありません。やはり、水稲が入ったことは日本人の生活に大きな影響を与えたことでしょう。
 そして水稲の伝来経路はやはり朝鮮半島経由と考えられてはいます。しかしこのとき、持ち込まれた水稲の種類が少ないことから、水稲を運んだ人は極少数(陸地には10種くらいの稲(遺伝子的な差?)があり、日本に根付いたのはそのうち2種類程度らしい)との説もあるようです。また、鉄器が伝わった時期とは異なっているとも。
ミトコンドリアDNAにつよく影響を与えている以上、日本には結構な数の弥生系移民がいるはずで、鉄器(とその製造についての専門技術)はともかく食糧について手ぶらとは考えにくく、稲が2種類のみに限定されるのは不思議な話らしい。移民が本格化した時期よりも前に、日本列島で急速に水稲が広がっており、後から来た弥生系移民の米がタネモミとして蒔かれることはなかった…とかでしょうか。
 陸稲が普及していたことも踏まえ、日本人が自主的に水稲を持ち込んだ可能性もゼロではないのではないか。
…しかし、弥生系移民の起源が揚子江流域に定着したO2系であることと、弥生系の移民が増えた時期に水稲が伝わったことが偶然とは思えない。

まあ、この問題についてはまだ難しい点がありそう。2005年当時の研究結果からは先に進んでいるかもしれないですが。
ただ、日本に稲作を教えたのは韓国!と無駄に勝ち誇られたら、「日本には縄文時代から陸稲があったし、水稲は揚子江文明で発達したもの」と答えておけばいいでしょう。


・朝鮮民族はシベリア東部の少数民族エベンキである?
この仮説もエベンキ族のY-DNAハプログループやらmtDNAを調べれば少しは関係性が見えてくるかもしれません。しかし、エベンキ族のハプログループの情報が見つからない(調査されていない?)ことと、朝鮮民族はハプログループでいうと普通に中国黄河文明系のO3が強いことなどから、シベリアのエベンキ族とは別の分布になりそうな気がします。(シベリア系であればCやDが強くでるはず?)

また、エベンキ族とは別に朝鮮民族と日本人の関係について関わる説として、
・10世紀、朝鮮半島の白頭山で大規模な噴火があり朝鮮半島の住民は滅亡した
・7世紀ごろの百済、高麗、新羅の戦争は異民族同士の戦争であり、勝利した新羅は百済、高麗とは別の民族

など、古代朝鮮民族(百済、高麗系)と現代の朝鮮民族(新羅系?または火山噴火後の民族)は別の民族であるという説があります。

このウワサの真偽はともあれ、朝鮮半島のほうが広く多くの民族との混血は起こりやすいことは確かで、現代の日本人とは異なるDNAを持っていることはなんら不思議ではない。

火山については、前の記事にミトコンドリアDNAについて「大和系mtDNAはアイヌ系DNAと朝鮮民族のDNAの両方の特徴を持つ」と書いたのですが、このことが正しいなら、少なくとも弥生系の渡来のあとで全住人滅亡で民族総入れ替えにはなっていないはず。


とはいえ、朝鮮半島の百済、高麗、新羅らの民族的な伝承では、彼らの起源について、それぞれ「北からやってきた」とのみ書かれているため区別がつきにくい。別の民族という根拠もないです。しかし、特に百済については、中国の記録に「支配階級と被支配階級では言葉が違う(別の民族である)」と記されていたりと何やら複雑な様子です。新羅の勝利後、それまで特に関係の強かった百済のほかに高麗からも日本への亡命者がでています。

新羅系が別民族であり、百済、高麗の土地を奪い取って支配したということなら、mtDNAはそのまま残り、Y-DNAについてはO2b1は少数だけ残ったとして、それは百済系の生き残りであると考えれば結構理にかなっているかもしれません。

・日本人は○○と違う民族か。最も近い民族はどこにいるか
蒙古斑が出る。蒙古ひだがある。酒が飲めない…
日本人はまちがいなくモンゴロイドの特徴を持つ人が多い民族であり、世界的に見ればモンゴロイドであることは間違いありません。

顔立ちについても個別に見ていけば漢民族系、朝鮮民族系、東南アジア系(あだ名がネパールやグンマーだったりする人)などもいるでしょう。私の知人にも「外国行った時、ベトナム系?って聞かれた」という人もいました。

中国の少数民族の中ではイ族などが顔立ちが近いといわれ、彼らはY-DNAで見てもD系の遺伝子を強く持っているそうです。

海外の反応「えっ、日本人って自分たちが他のアジア人と違うって信じてるの?」
日本人からすれば、日本人と中国人を見分けるより、(二択にしてもらえたとしても)ヨーロッパの人をみて国籍を見分けるほうが難しいと感じます。日本人に欧米人の顔は見分けられず、欧米人にもアジア人の顔は見分けづらい。

ヨーロッパでは、海外の反応などのサイトを見ているとゲルマン系、ラテン系、スラブ系、ユダヤ系・・・と、さらには歴史的な関係などで民族、人種的な違いを意識しているコメントは多い。
「ドイツ人とフランス人見分けられないとかありえないだろ!」というのが当のドイツ、フランスの人の常識。


Y-DNAの限界として、一重まぶたの件も挙げましたが、Y-DNAだけでは他民族との類似点、相違点をすべて説明することはできません。しかし、違いがある理由については若干感じ取れました。
mtDNAで見ても中国、韓国とも違いは確かにあり、Y-DNAについては驚くほどの違いがあったといえます。

mtDNAがもっとも近いのは韓国ということは確かであるものの、これはだいたい、東アジアに住み始めた時期が同じくらいというような意味と考えられるのではないでしょうか。

 さて、日本人は本当に他のアジア人と同じじゃ嫌だと考えているのか?…別にそういうわけでもないと思います。ただ、最近は気になる事情があるので仕方ないことかと。
今は韓国側が起源やら何やら主張していることに加え、それを聞いた外国人が「日本も韓国も同じ民族なんだし、スシも剣道も韓国起源で問題ないだろ?」という反応をしてしまうためにこの問題について少々ナーバスになってしまった人もいると思います。

youtubeなんかで顔見分けクイズもありますし、いずれ文化的な違いなどについても理解してもらえる日がくることを願いましょう。

Y染色体ハプログループでどこまで分かるのか?日本人の起源など

Y染色体(Y-DNA)ハプログループというものがなかなかに興味深いです。日本人の起源に迫っています。
2015年3月版ハプロタイプツリー

これはY染色体の遺伝を追いかけることで、人類の移動を探ったりすることができるというもので、

・日本にはD型という古い遺伝子が生き残っている
・沖縄とアイヌは遺伝的に近いことが証明された
・アジア全土、東ヨーロッパでもチンギスハンの遺伝子がいまだ息づいている

などと言う形で耳にしたことがあるはずです。


このことについて、嫌韓(≠ネトウヨ。一部重なる部分もあるが同じではない)な人々が取り上げることがあります。

・韓国人の持つハプロタイプとは構成の割合が大きく違うため、日本人と韓国人は同質の民族ではない
・日本の大半は韓国とは無縁のD型遺伝子を持っている
・天皇はD型遺伝子を持ち、韓国系とは無縁であることが証明された

など。
これらの話はどこまで本当か、そしてY-DNAは嫌韓にとって有利な情報となるか……


ネットや図書館で調べてみました。まずはY-DNAについて。上記ネットの噂については別の記事で。
なお、この記事は2015年の最新の研究を反映したものではありません

近年日本人に多く含まれるOb2系もK系として再編されるなど、日進月歩で変化している分野のようです。私が知ることができたのは2005年あたりの本などに書かれた内容を図書館で拾い読みした程度だったりします。

・Y染色体ハプログループでわかること
Y染色体は男が持つ性染色体のことであり、男親から男子へ伝わります。この伝わり方により、男親の出自が変われば子供たちのY-DNAもがらりと変わっていくことになり、つまり戦争での勝者のY-DNAが極めて有利になっていくことが考えられます。チンギスハン(モンゴル系)の遺伝子が広く伝わり、現在でも残っているというのはそういう理由があります。
 逆に、日本やチベットの山奥にのみD系が残った点については、そのほかの地域では後進の遺伝子のO2、O3などと戦争が起こり、敗北した結果、D系の男性は多くが殺され、また子孫を残すことが許されない身分に押し込められたことが考えられます。それに対して、日本は侵略を受けず、また一定の割合でD系とO2系の遺伝子が共存することは、お互いに侵略することなく共存関係をとったことが予想されます。このことから、D型の遺伝子を縄文人、O2型の遺伝子を弥生人と考えると、縄文人と弥生人は共存して日本人の祖となったと考えることができるようです。私の子供の頃は、「縄文人は弥生人に破れ、(大和系)日本人の祖先の弥生系が繁栄した。やや我々と顔立ちの異なるアイヌは縄文人の末裔かもしれない」という説が唱えられていましたが、アイヌが縄文系の遺伝子(Y-DNAハプロタイプD1b(旧D2,D-M64.1)を色濃く残していることは正しかったものの、弥生人が縄文人を追い払ったという説は科学的に否定されることとなりました。

・mtDNAハプログループとの関係
こちらはパラサイトイブで知られるように女系で伝わり、Y-DNAに比べて長い時間で変化しにくい特徴を持っています。
 日本の本土に分布するmtDNAはアイヌのmtDNAと朝鮮半島のmtDNAの両方の特徴を持つらしく、これはつまり本土の大和人は縄文人と弥生人の血が混ざっているということで、また朝鮮半島のmtDNAは3000年日本に渡った弥生人とさほど変化していないと言えるようです。

父系、母系で、この2つだけで十分というわけでもないですが、異なる特徴を持つ遺伝子情報として両方を見比べていく必要があるようです。(Y-DNAのほうが新しく出てきた手法であるが、だからといってmtDNAが不要になったわけでもない)


・Y染色体ハプログループは万能ではない
Y-DNAだけで人の遺伝の全てを知ることはできません。特に一重まぶたなどについて気になる女性は自分の遺伝について縄文系、弥生系に興味を持つかもしれません。縄文が二重、弥生が一重などと言われますが、女性に関してはこの方法で縄文、弥生を問うのは難しい。
 なぜなら、その女性当人はY染色体(男の性染色体)を持たないからです。父親のDNAで判断することもできますが、その女性に子供ができた場合、その目元に女性側の遺伝がないわけではありません。Y-DNAと一重まぶたの分布が一致しているわけではないのです。

ヨーロッパではR系あり、細かく分布を調べられ、ヨーロッパ内での人の移動、それぞれの祖先の分析に熱心に調べられているそうです。しかし、O系も含め、ヨーロッパのR系も遺伝子の伝達経路詳細の違いはあれど、大枠では違いが少ないらしく、O系もR系もまとめてK系として再編されるのだそうです。
 これは彫りの深い二重まぶたの縄文系よりものっぺりした顔の一重の弥生系のほうがヨーロッパ人に近いことになってしまい、このことを見ても、Y-DNAだけでは遺伝の全てを分類できないことが確認できます。
ミトコンドリアハプログループ、そのほかさまざまな要素を検討していかなければ、日本人の人種的特長を説明、分類することはできない様子です。


・日本人の起源とは……縄文弥生二重構造モデル
日本人のY染色体ハプログループを見ると、多くはD1b(旧D2、研究初期ではD-M64.1)とO2b1a(47z)になる。
D1bが縄文系であり、O2b1aが弥生系と考えられているようです。
他にも多数の要素を含んでおり、縄文、弥生が共存した「日本人二重構造モデル」を形成しつつ、他のさまざまなY-DNAが共存している。
上記のY-DNAの詳しいツリーを表示してくれている人によれば、異なる時代にアフリカを出た2つの人種(?)が共存しているという先進国では珍しい構成のようです。

D1b(wikipedia)
D1bは日本でしか見られないらしく、日本で発生した(分化した)と考えられているようです。アイヌ以外でも、東日本では4割ほどを占めるとか。

一度バイカル湖まで北上した後に樺太経由で日本に来た可能性もあるものの、おそらくは氷河期に海がかなり狭まっていた(それでも完全に陸続きにはなっていなかったものの)朝鮮半島から日本列島へ移動したと考えられている様子。

チベット系D1a(チベット、中国少数民族、朝鮮民族の一部)は、D1bとはどちらかが祖となっている関係ではなく、共通の祖から枝分かれした別の遺伝子のようです。したがって、朝鮮半島のD1a系の一部が日本に渡ったわけではなく、また日本統治時に日本のD1b系が朝鮮半島に残ったわけでもない。
近年、D1a,D1bの共通の祖となるDNAを持ったD1系がアンダマン諸島の一部族から見つかったそうです。

ハプログループD(wikipedia)
オンゲ族、ジャラワ族はD1a,D1bとは異なるD系100%
また、上記のwikipedia記事によれば、日本人の由来などについて本を書いたり、実際に研究を行って論文を書いていたりする崎谷満氏は日本語の起源をハプロタイプDがSOV文型の担い手であったと考えている様子です。

英語のほか、大陸で広がっている中国語などはSVOであるため、日本語の元(近い言語)はどこにあるのか、朝鮮語以外とのつながりが見られなかったのですが、中国語が黄河系の言語として後から繁栄したもので、インドのサンスクリット語、チベット語、ミャンマー語などむしろSOV系としてのつながりがある言語は(D系の移動経路を考えると)結構多く存在していそうです。
SOV文型の言語(Yahoo知恵袋) 


ジャラワ族が日本人と近い。海外の反応

念のため書いておくと、アンダマン諸島が日本人のふるさとと言いたいわけではない。
D系の遺伝子のうち一部が未変化のままアンダマン諸島に渡ったと考えられ、一部チベット等内陸部でD1aに分化したものもまたアンダマン諸島へ渡った。
D系の遺伝子のうち、一部の未変化のものが日本列島へ渡り、渡った後でD1bという日本固有の遺伝子に変化し、日本で広く分布した……ということのよう。
 D1bが日本にしかいないことから、D1bが日本国内で発生したと考えるならば、少ないながらもD1bのプロトタイプとなる遺伝子があってもよさそうなのですが・・・それは日本列島内で競争の末に淘汰されたのかな?それとも日本に渡る前にD1bに変化し、大陸に残ったD1bとそのプロトタイプは既に滅びたと考えたほうが分かりやすい気もしますが……

・O2b1a系
O2b1a(wikipedia)
こちらは韓国にも一部分布し、弥生系の遺伝子であると言われます。
そして、このO2系DNAは揚子江流域で稲作文化(水稲)を発展させた人種であるようです。弥生人が日本に稲作(水稲)を伝えたという考え方と合致します。
漠然と、大陸のどこかの気まぐれな人が日本にくるとき稲を持ち込んだのかとも思っていましたが、上に書いたとおりO2系は揚子江文明の担い手であり、日本の稲作(水稲)の起源は揚子江(長江)流域にあります。しかし、気候変動などで移動を開始した黄河系のO3系の勢力に押されて、揚子江流域の人々も別の土地へと移動することになったと考えられます。中国本土ではO3が支配的になり、弥生人の祖先O2系は中国南部、東南アジアへと逃れていったことがY-DNAから裏付けられてきています。


・天皇家は朝鮮半島に存在しないD1b系?
天皇陛下の目が細いから朝鮮系と呼ぶ人もいる(小学校の先生もそう言ってた)のですが、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を見るとそうでもない感じ。
遺伝の全てがY-DNAと一致するわけでもないのだけれど、天皇陛下の目の特徴などで天皇家の起源を朝鮮系という人がたまにいる。

しかし、天皇家のY-DNAはなかなかに興味を誘います。
天皇家は男系で皇位を継承してきたわけなので、その原則に従えば今上天皇のY-DNAは2000年前の神武天皇のY-DNAなわけです。清和天皇を祖とし、武家という男社会で生きてきた源氏などの血筋も、同じことが言えるのではないか。

また、このこととチンギスハンの遺伝子がC2b2(C-M217)と推定されることで、これで源義経がチンギスハンになったという説(もちろんトンデモ説であり、外国からの侵略を日本国内の事情のみで解釈しようとした昔の日本人の思い込みが元なんでしょうけど)に科学的根拠がついたと思ったのですが、天皇家のY-DNAがD1bであるか分かっていないようです。


上のY-DNAハプロタイプの情報を多く示してくれている人はO3系(黄河文明を祖とする、本土中国系)と予想しているようですが。
また、チンギスハンの遺伝子も、東ヨーロッパを含め広く分布しているY-DNAをチンギスハンと仮定しているだけという面もある様子。
 O3系と考えている理由には日本を平定する武力、好戦性を広くアジアを支配した新人類であるO系に求めたためのようですが、これは一時期大和朝廷の起源として武力で支配域を一気に拡大したという考え方に近いものといえるかもしれない。
騎馬民族征服王朝説
手塚治虫の火の鳥でも、大和朝廷(神武天皇)は卑弥呼の邪馬台国(邪馬壱国)を武力で制圧して勢力を広げていく場面がありました。しかし、どうも大和朝廷が勢力を拡大する段階では天皇家の政治的権力、発言力は小さかった模様。この騎馬民族征服説は現在では否定されている様子です。ただ、武力による制圧も全くなかったわけではないはずで、大和武尊や吉備津彦命などは異民族の征伐を行っている。

天皇家のY-DNAを調べるとなると、遺髪などからDNAを比較することで男系を継続しているか、政争の結果、別の血統に入れ替わっているのではないかとか、さらには代々の中での子供のすり替えみたいなものまで明らかになってしまうので、少々デリケートな問題にもなりえます。
 世界最古の王朝であることに加え、男系を継続してきたことも含め、気になるところではあるのですけれど。