2015年12月6日日曜日

ユーフォニアムは巻貝であり女性器の暗喩に決まってるだろJK

久美薫という人が、響け!ユーフォニアムを児童ポルノと批評し、話題になっています。

特に、原作のラノベではなく京アニの作ったアニメのほうを。

おたく文化と児童ポルノ

批評というのも罪なもので、それが多くの人に受けいれられるとは限りません。

エヴァなんかを見て「セカイ系」と分析、批評したことについて、それへの反対意見なんかも多くありました。
それ以後、アニメに対して「セカイ系www」とレッテル張りをすることは、その作品に批判的で、、未熟な子供の娯楽と切って捨てるような部分も出てきていたため、現在ではもはやセカイ系と分類すること自体が作品への批判であると受け取られても仕方の無い状態になっていると思います。


以前、私が好きなラノベ『イリヤの空、UFOの夏』について、主人公のロゴスがどうの的な哲学的な分析を行った人がいた気がします。

その際に、2chの作者、作品ファンのスレッドにてこの批評が正しいのかと話題になりましたが、結局は間違っている、ズレているという意見が大勢を占めました。
その際、「批評っていうのは作品をいじりまわして好き勝手言う新しい作品。批評家先生の自己表現なんだよ」とうそぶいてみせた人がいました。

今回のものもそういう面があることは否定できません。また、この人の名前で検索すると出てくる記事として、

アニメ業界の皆さんが久美薫に怒りをぶつける裏事情


などもあり…上のtogetter2つはともに本人が自分でまとめたものなんですが、要するに炎上芸人ってやつですね。まずは目立ってナンボってところでしょう。

そのほか、批評の手法を紹介している本のamazon書評にて、

「批評」とは何か? 批評家養成ギブス(amazon)

>「それは作家の意図ではない」と言われても批評は平気。なぜなら批評は作家自身の無意識まで暴くのだからと言う。

このあたりはまさに、久美薫氏が展開している「あなたがどう言おうと私が言っていることが真理。反論があるのは痛いところを突かれてっしまったからですよね?効いてるwww、効いてるwww」という論理と一致する。

ユーフォニアムが男根であることも、アニメ業界を食いつぶしているのが年長のアニメ業界人であるとも思いませんし(スタッフの待遇は、業界の内から外から、改善されていってほしいとは思っている)、またツイッター用資料として近場の幼女を盗撮した件を指摘されると、今度はポスター上のキスしてる男女を撮影して「盗撮!」とごまかしてみたりと…あまり真に受けるべきではない気がするのですが、こうも簡単に大勢が釣り上げられてしまっているのは何故か。


理由としては、

・この批評が正しいとは思えないから
・この批評が実害をもたらすものだから

このあたり2つの事情があるからでしょうか。

まず、正しいと思えない点について。

ユーフォニアムへの批評としては
・『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノと見分けることが難しい。それは児童ポルノとアニメ作品の間に明確な境界線を作ってこなかった業界側に責任があるのである
・世界(西洋人)からみてそうなのだから、日本の文化や表現の自由が歪められる結果になったとしても、それにしたがって修正されねばならない
・そもそも、京都アニメーションは文学的美しさを持った原作本にセックスアピールの暗喩をちりばめ、性に訴えかける低俗な"商品化"を行っている、意識的なポルノの創造を行っている組織である
少女が大きな楽器を抱えている様は、楽器が男根の暗喩であると分かる

…といったことを言いたいらしく、特に最後の"楽器が男根"という部分に「ないわー」と批判が殺到している。フロイト先生だって楽器になんて言及してたっけ?

楽器=男根は、もうそう見えるんならそう見えるんだろうの世界なので、今後ペンでも魔法のステッキでも酸素魚雷でもなんでもチ○コに見えてしまうなら仕方がないよね。

フロントミッションオルタナティブ(戦争ゲーム)のライフルの名前が全部チ○コのスラングな件


で、それ以外について。

・児童ポルノと日本のアニメの境界
久美氏は、手塚治虫の作品が外国で批判された件について、「子供に見せるべきでないものを見せている。規制しろ」といわれたことをセックスのことと断定していますが、これはおそらく勧善懲悪ものの単純な作品にしろだとか、血や暴力の描写が多いと人間性が破壊されて・・・みたいな話と思われます。

そういう面で、日本と海外とでは表現の自由やら、方向性(正義は必ず正しいというアメリカ的な表現と、それ以外(日本以外でもヨーロッパでも)での、正義の味方が生み出す被害者の苦しみ(成敗された悪人の子供が生活に困ってしまうとか)みたいなもの違いとかは優劣ではないですよね。

・西洋人の価値観が正しいか・・・といったらそうでもない。グロバカってやつですね。
というか、西洋コンプだと気づいているんならそれに批判的になってもう一度自分を見つめなおしてみてほしいもの。

・幾多のパンツアニメを抑えてなぜユーフォニアムが選ばれたか
ディスク版で規制解除されてパンツやら乳首やらが出てくるアニメでもないのに、なぜにユーフォニアムが槍玉にあがったのか。

女の子たちが吹奏楽で青春を謳歌しているだけだ!それを応援していて何が悪い!と主張する男性視聴者に対し、それにセクハラ的な嫌悪感を抱く女性がいてもおかしくないと思います。

これは、作品に登場する女の子に内部構造を求めるか否かというような議論を見たことがあります。『美少女の現代史』とか、アニメ漫画の歴史を分析するような本とかに出てきます。

ピーチ姫のように、ただクッパに攫われて主人公の助けを待つだけの中身スカスカのハリボテを肯定するか、さもなくばワガママだったり気まぐれだったりといった個性を有し、主人公(視聴者)の意思だけではどうにもならない思惑を持って動く、いわゆるめんどくさい女を作品中に登場させるか…という部分です。

アルドノアゼロのアセイラム姫は、最初は前者のようなハリボテの存在であり、主人公二人(イナホとスレイン)は彼女のために平和な世界を作ろうと戦うのですが、最終的にアセイラムは平和のために自ら動き、自身の望む平和な世界を作り出しました。これは作者側(虚淵?)による、「お姫様」へのアンチテーゼであったと思います。


・少女のリアルな感情を覗こうとすることは裸を見ようとするようなもの

視聴者は、アニメ中のめんどくさい女の子を通して、リアルな女の子と同じく思い通りにならない相手を通しながらも、最終的には理解しあえ(というかデレる)、ハッピーエンドを迎える展開を求めています。(一方でチョロい子も多いけれど・・・)

「アニメを通して女の子を理解しようとする」というのもアホな響きですけれど、結局のところ男性作者が書いた男性向けの作品で出てくる女の子がリアルなものと考えてはいけない。
読者の側も

・めんどくさい女は嫌い
・相手の考え方を知りたい。そうすればこっちが合わせられるから
・絶対に理解しあえないけれど、女の子の心をストレートに描いた作品は評価する

と、さまざまな立ち位置があります。
ちょろい女の子(チョロイン)はラノベ乙、逆にとことんめんどくさい女は「女性作者のオナニー。萌え豚発煽って笑ってるとこ」と批判されることになる。結局残るのは、半端に女の子の内面を描いているようでいて、現実には存在しない架空の存在となる。毒を抜かれて培養されたワクチンのような、無害で自然界には存在しない女の子っぽい何かでしかない。

ユーフォニアムにも、多少男性視聴者の手に余る部分が存在します。

ユーフォニアムのジョイナス先輩クズすぎてなんで尊敬されてるのかわからん
「心底どうでもいい」発言など、理解が難しかったり受け入れられないと反応が出るのは仕方の無いこと。
私は特に強い思いいれも反発を感じることもなく、作品の流れを眺めていましたが…

>女性作者が描く『うる星やつら』のラムちゃんの裸はセクシャルな意味を持たず、あたるに向けたストレートな好意の表れ。むき出しなのは肌ではなくラムちゃんの心

と、前出の「美少女の現代史」で分析されていますが、心を見せることは裸をみせることと同様に抵抗を持つことであるというのも確かなことです。女の子の心を見ようとする男性視聴者、それに対し全裸の心をご開帳しようとした京アニに対し、女性の立場から嫌悪を示した…ということなのかもしれません。

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